見出し画像

基町プロジェクト&オルタナティブ・スペース コア訪問 | Untitled Vol.3

メタボリズム建築としても有名な「基町高層アパート」を訪問

サッカースタジアム建設のための発掘作業が続く中央公園の北側にそびえる「基町高層アパート」。戦後の住宅需要を受け宅地化され、人口流入の結果バラック群も広がっていたこの場所に高層アパートが建てられたのは1978年のこと。現在高齢化と多国籍化が進むこの地域で活動するふたつの団体、「基町プロジェクト」の増田純さんと、夫婦で基町ショッピングセンターにギャラリー「オルタナティブ・スペース コア」を運営するアーティストの久保寛子さんにお話を伺いました。
※オンライン版は紙面記事+αでお届けします

画像1

基町プロジェクトが運営する「基町資料室」に置かれた、基町団地の模型
基町資料室:水~日 12:00~17:00開室

増田:広島市中区役所と広島市立大学が手掛ける「基町プロジェクト」は、2014年に拠点となる「M98」ができ、初年度に実験的な取組を行いながら、地域の方へのヒアリングなどを経て、本格的に活動を始めました。きっかけは広島市と基町地区の住民の方々がつくった「基町住宅地区活性化計画」で「アートによるにぎわいづくり」が計画されたことにあります。最初は団地内のショッピングセンターの空き店舗のシャッターに絵を描くような依頼だったそうですが、大学の教員が入って話をする中で、シャッターの上に絵を描くより、シャッターを開けて人が活動している状況をつくる方が効果的では、となったそうです。
 基町プロジェクトは「基町から広島の復興と創造を発信する」という大きなコンセプトを掲げています。基町は、かつて広島城の一部で、その後陸軍施設が置かれていました。住宅や公園など、市民のために活用される土地になったのは戦後です。木造長屋の復興住宅時代を経て、現在の高層アパートになりましたが、現在アパートにお住まいの方のお話から、高層アパート以前の様子を伺うこともできます。遠い昔のことのようですが、今も昔も変わらないもの、例えば交番前の大きなクスノキなどもあります。今も変わらぬ風景を見ながら、ふと誰かが話していた昔の風景が自分の中に立ち現れる瞬間があって、それが面白いですね。それに戦後の新しいコミュニティではあるのですが、自分たちでこの地区をゼロからつくってきた、という“力”を感じます。

久保:私は結婚を機に2016年に基町に引っ越してきました。夫がこの場所の建築的な特徴や歴史的な背景を知って「住んでみたい」と。暮らし始めて団地内を散策する中でショッピングセンターの存在を知って、2017年に空き店舗を借りて「オルタナティブ・スペース コア」を始めました。ギャラリーをつくった一番の目的は、広島に発表の場をつくりたいということです。面白い学生や面白い作品は出てくるのに、広島で発表されず、広島の土地の文化が醸成されないまま出て行ってしまう。それを変えたくて。あとはアートに限らず様々なジャンルの若者が集まる場になったらいいな、と思っています。夫婦共働きで、余力で運営しているので、いつも開いているわけではありませんが、展覧会に加え、定期的にブロックパーティを行ったり、この間は基町高校の卒業生の展覧会をやって高校生が沢山来たり。住民の方もふらりと立ち寄ってくれます。基町の地域やここに住むたちと、外からくる若い人たちが結びついて化学反応が起こってくると面白いと思うのですが、そこはまだこれからですね。

画像2

コア、休廊時の外観。Shutieによる、目を引くシャッターアートが目印。
オルタナティブ・スペース コア 開廊日・不定(詳細は事前に確認を

増田:常々思うのは、アートやデザインによる活性化=地域の問題を即効的に解決することではない、ということです。むしろ、もっとじわじわと効いてくるようなものだな、と。M98のスタッフは全員30代で、若いスタッフがやりたいことをやれる環境があります。基町にこういう場所があって、何かをはじめたい、一歩を踏み出したいと思う方たちと「一緒にやってみる」場になれればと思いますし、基町をそういう場所として見てもらえると嬉しいです。若い人が出入りすることで地域の雰囲気は変わりますし、そういう風にこの場所のイメージを更新していくのが、基町プロジェクトができる地域への還元のような気がしています。
 基町は被爆1km圏内で、中央公園より南側には平和記念資料館があり慰霊の場となっています。一方基町側には、今まさに人々が生きている場というか、復興の姿そのものがある思っていて。基町プロジェクトがあることで、若い方の活動と、その下にあるこの地域の歴史の層をつなぎながら、より創造的な営みをつくっていけたらと思います。

2019.11.19 ユニテ整備-30

基町プロジェクトが運営するギャラリー「Unité」。若者の創造的な活動をサポートしている。展示スケジュールなど詳細はウェブサイトを

 今年基町小学校が創立50周年で、小学校と色々な事業を企画中なのですが、そこで知ったのが「カンナの花」のストーリーです。広島市内には資料館がある小学校がいくつもあって、原爆遺構の紹介や、関連する資料を保存し語り継いでいます。基町小学校が大切に語り継いでいる「カンナの花」は、原爆投下後1か月くらいに、現在小学校南門がある付近で撮影された写真に由来しています。焼け野原に花が咲いていて、カメラマンが撮った。それがたまたま今の基町小学校の近くだったということで、とても大切に学ばれているんです。基町地区はもともと陸軍施設があったこともあって、傷としての歴史の跡もたくさん残っているはずで、もちろんそれも重要ですが、一方で「カンナの花」を地域のアイデンティティとして大切にしているのが、この街らしい気がしています。

久保:団地内は本当に高齢化が進んでいます。そのため隣近所の関係は密ですね。お互いに見守りあう関係性というか。あと戦後基町地区がつくられていく中で培われたであろう独自のルールが色々あって、街中にありながら「村」のような空気もあります。はじめは何も分からず、人に聞きながら、間違いながら探っていく感じでした。最近面白いのは、国際化でしょうか。中国の方とネパールの方が多いですね。毎年秋に「基町町民体育祭」があるのですが、外国籍の方々は若いのでかり出されるんです。そこでみんな一致団結して国境を越えた友情が生まれるんですよ。

画像4

コアでの餅つきの様子。奥に見えるのはDJブース。

増田:必ずしも言語化されていない、ローカルルールの束縛というのは、高層アパートになって、新しい人が入ってくる中で地域をまとめるために必要だったのだろう、という風にも、住民の方のお話を聞いて思いました。

久保:実際すごく治安が悪い時期もあったみたいです。貧しくて子どもたちが十分に食べることもできず非行に走るとか。一方でそんな子どもたちのためにずっとご飯を作り続けてきた「ばっちゃん」がいたり。本当に多種多様なんですよね。あらゆることを経験している団地だし、高齢化や多文化共生といった現代社会の問題を凝縮した場所でもあるし。そこが住んでいて面白いですね。もちろん問題から生じる摩擦もあります。中国と日本だったり、若者と高齢者だったり、新しい考えと保守的な考えだったり。共存の内にある衝突は結構見ますが、文化というのはそもそも二つの衝突する考え方の“間”から生まれるものであるという思いもあって。だからこそ、この場所から文化が生まれる可能性を感じますし、様々な衝突の狭間に立っている感じがスリリングでもあります。表現する人は基町に住んだらいいと思いますよ。他の場所では体験できないことを見て、考えることができる場所です。

画像5

基町プロジェクトの拠点「M98」にて
増田純さん(左)と久保寛子さん&いさく君(右)

増田純/1989年、広島市生まれ。広島市立大学芸術学部非常勤特任教員。アートスペースや美術館等の事務職を経て、2017年より「基町プロジェクト」の運営スタッフを務める。基町プロジェクトは拠点となる「M98」の他、ギャラリー「Unité」や団地に関する資料を公開する「基町資料室」などを運営している。
久保寛子/1987年、広島市生まれ。アーティストとして活動する傍ら、2017年に、パートナーの水野俊紀(Chim↑Pom)、浅田良幸(カルロス)と共に設立した「オルタナティブ・スペース コア」の運営を手掛け、ジャンルを超えた多様な活動を通して、団地空間に文化という新たなレイヤーを加えようとしている。