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丸橋光生インタビュー

現在、広島駅南口地下広場のショーウィンドウにおいて展開されている丸橋光生「I see 文字.」。視覚と認識をテーマに作品を制作する丸橋さんに、今回の新作を含む「イメージと文字」シリーズや、作品に登場する「夢」という言葉などについてお話を伺いました。

人の心理から「見る」経験へ
2014年ごろから「見ること」「認識すること」をテーマにした作品を制作し始めたように思います。それ以前はそこまで視覚や認識を意識することはありませんでしたが、一方で学生の頃から、なぜ自分はこんなことをするのだろうか、なぜこんな感じ方をするのだろうかといった、人間の心理や癖などに興味がありました。それが近年、視覚や認識についての関心へと、より明確化されてきたと言えます。

視覚や認識について考えながら制作したといえる最初期のシリーズ「Behind The Color(色の裏側)」では、人間がどのように対象を立体的に見ているのか、それはどこまで本当に立体的たりうるのか、ということを考えながら制作しました。例えば人間の目は3Dスキャナーのようにみずから光線を出し、対象との距離を測る、といったことをしているとは思えません。秒速30万kmくらいの光の反射を網膜で受けとることが「見ている」ことの最初の段階だと考えると、平面的な情報しか捉えられないように私には思えます。それにもかかわらず対象が立体的に見えるのは、「経験」によるものではないかと考えるようになりました。実際に対象に触れたり、動かしたりなどした経験が蓄積することによって、平面的な情報を立体的に認識できるようになるのではないかということです。さらに、質感・遠近感といった様々な認識を可能にしているのは「経験(の蓄積)」ではないか、とも考えています。

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《Behind The Color》2019年

「繋げた」はずが、そこに現れたのは「裂け目」だった
近年4K映像など高画質な撮影が可能なカメラ機器や再生装置が、手頃な価格になってきました。こうしたものを使って何かを撮影すると、目で見ることと、機器を通して映し出されるものとの違いにも気づきます。例えば川の水流を高精細な映像で記録して見たときに、自分の目で直接見る時とは異なる印象を受けたりもします。4Kなどの高精細な映像に対する私の感覚は2次元を超えた2.5次元といった感じで。実際に肉眼で対象を見るのとも違う感覚を覚えます。

イメージと文字について考えるきっかけとなった「対馬アートファンタジア2017」に出品した作品は、そうした4K映像にハマっていた時期のものです。その時は、廃校になった学校の図書室に、モニターを複数設置して、自分で撮った対馬の風景を収めた映像を流し、その側に「田んぼ」など、映し出されているものに対応する記述がある図鑑や資料のページを開いて置く、といった展示を行いました。学校の中の一室を用いた展示だったのですが、部屋を空にして作品を設置するといったアーティストもいた一方、私はそこにもともとあるものと相互に作用するものが作りたいなと思いました。そこで、その時注目していた4K映像と、図書室にあった図鑑、歴史漫画といった、対馬の子ども達が読んでいた本を組み合わせて作品にできないかと考えました。

たくさんの窓2

対馬アートファンタジア2017に出品された
《たくさんの窓 / 小学校の図書室から》2017年

この時の展示は、自分の好きな4K映像と図書室の本や資料を「繋げて」作品にしようとしたものでした。けれども完成した作品を見た時に、「あれ?」という感覚があって。本(の中の文字)と映像を繋げる作品としてプレゼンテーションして、それなりに納得のいくものになったと思ったのですが、改めてそれらを交互に見た時に奇妙な違和感が残ったんです。イメージ(ここでは映像)、テキストなどをほぼ同時に見ると、変なことが起きるんだなと思いました。

この、対象物を指す記号としての文字や、対象物の視覚的なイメージを並置するといった手法に、例えばジョセフ・コスース(*1)などの作家を思い出す人もいるかもしれません。コスースの代表作に、木製の椅子、実物大の椅子の写真、辞書にある「椅子」の定義のテキストの三つが並べられているものがあります(*2)。何かで読んだのですが、コスースは哲学者のプラトンが言ったイデア論を肯定的に捉え、異なる三つの「椅子」を並べたようなのですが、私の体感としては全く逆のことが起こっていると感じられます。私の作品では、コスースが言うようにイデアに近づくのではなく、その反対にそれらイメージと文字は私たちの脳(または意識)の中で、互いに緩やかでおぼろげな関連性はあるが、元々はバラバラなんだ、ということを確認できるように思います。以前私の作品を紹介する際に「世界の裂け目へと誘う」と言って下さった方がいたのですが、言い得て妙で、とても気に入っている表現です。おそらく私は「(私たちが認識している)世界の裂け目」を見たり感じたりするのが好きなのだと思いますし、そしてそれを人にも見せて、一緒に楽しみたいのでしょう。ふり返ってみれば、どの作品もその「世界の裂け目」を作っているとも言え、そのことが私にとって快感となっているのだと思います。その後、2018年の対馬の展示に際して、並べるのではなく直接対象物に文字を貼りつけたらいいのではないか、と閃いたことで現在の「イメージと文字」シリーズに発展していきました。

ちなみに、「見る」ということに関連した作品として、2015年より度々制作している「窓洗い」シリーズがあります。これは、スマホやパソコンの画面を泡が洗っていく様子を眺めるものですが、制作のきっかけは、外国の白黒GIFアニメーションでした。ワイパーで窓についた泡をとる様子がループで繰り返されるというものでしたが、私にはこちら側と向こう側が分かれているという感覚が鮮やかに感じられすごく面白いなと思いました。液晶画面の内側(向こう側)から画面が洗われている、画面の中(向こう側)から覗かれているという面白さです。

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《どこかの窓洗い》2021年

今回の展示における「イメージと文字」シリーズの展開
数年前から、自分が扱っている作品のテーマを一種類に絞って展示の展開・組み立てができていない、ということをなんとかしたいと思っていました。

近年個展をする際は、「見る」ことに関するいくつかのシリーズをまとめて見られる、オムニバスのような展示をしていました。それは、幕の内弁当的な、いくつかのシリーズを一覧できる良さはあるものの、どこかとっ散らかった感じで、散漫に感じることもありえるなと思っていました。それが、ひとまず自分にできるプレゼンテーションの方向だったのですが、展示や作品のバリエーションを増やすという意味では、一つのテーマを展開する方がいいなと思っていて、この度の展示では担当学芸員の方からの意見も踏まえて、「イメージと文字」シリーズのみの構成にしようと決めました。

新任教員展

「新任教員展 丸橋光生 ああ わたしは 見ているよ ベイべ Oh I’m seeing, baby.」(広島市立大学芸術資料館、2019年)の展示風景

こうした、一つのテーマからいくつかのバリエーションの作品を制作し、一つの展示として構成するやり方は、私のキャリアの中ではじめてやったことでした。作品の中に鏡を用いるという、前からやりたかったことも組み込めましたし。映像も、これまでは単体の作品として発表していましたが、今回はインスタレーションの中に組み込むという、ある種の展開を伴った形に落とし込むことができたので、本当にいろいろ得たものがあった展示です。

「夢」という言葉の喚起力
今回の展示のテーマの中心に、「夢」という言葉を置くことは早い段階で頭に浮かんでいました。「夢」という言葉は、自分の子どもの名前にしようと思っていたほど私にはここ最近思い入れがあるのですが、また同時にすごく喚起力がある言葉だと思っています。ここ2、3年の間、日々生活する中で「自分は夢の中を生きているんだな」といった、漠然とした実感を覚えることがしばしばあります。

例えば、目に映るものは全て平面的な光の反射であり、それにもかかわらず私たちは目の前の対象(物)を立体的に捉え理解しているつもりでいます。普段、ここは自分の部屋だ、といった情報を視覚によって受け取る中で、「今は部屋から出たくないな」とか、「土日にはここ(職場の部屋)に来たくないな」などと様々な思いを巡らせたりします。その時は、物質としてそこに何があるかは理解しているつもりだし、そこから様々な感情が生まれているけれど、その元は光の反射という、現象に還元できると思います。毎度いちいち触って確かめているわけもなく、実際は光の反射を頼りにしている。そのためにしばしばエラーも発生するのだと思います(例えばだまし絵など)。我々の視覚や認識はよくできている一方で完全ではなく、実は結構不確かで脆く、そうやって脳内に描きだされる世界は儚いものだなと思わずにいられません。

ただ、儚いからといってネガティブな意味しかもたないというわけではないと思います。例えばクラスに自分の好きな人がいたとして、その人を見ると恋愛感情が湧いたり、仲良くなれないと悲しかったりということは多くの人にあることだと思います。それはすごく人間らしいし、生き物として普通のことで、私自身も日々動物として楽しみや苦しみに振り回されて生きています。でもそれを「不確かな視覚や認識によって描き出された世界≒夢」とすることで「あぁなんだ、夢か」と思うことができるかもしれません。普段の動物っぽい苦しみからひと時楽になれるとでも言うのか(笑)。「これは夢かもしれない」と思った瞬間に、目に(又は脳に?)映るものが絶対ではなくなるのではないかと思うのです。これは自分が生きている世界を相対化しているとも言えると思います。

駅地下という場所で展示することについて
パブリックな場所での展示という難しさもあるだろうと思いつつ、だからといってネガティブには考えていませんでした。また奥行きもあってスペースも大きかったので、何かをただ飾るというよりは、普通にガッツリ個展をする感覚で挑みました。ギャラリーだと作品を見に来てくれる人しか来ないですが、ここは圧倒的に通りすがるだけの人が多い場所です。一日何千人、何万人という人の視界に、作品が意図せず4ヶ月間入り続けるという状況がとても面白いと思っています。

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広島駅南口地下広場ショーウィンドウで展示中の《I see 文字.》
Photo: Kenichi Hanada

今となっては自分でもどこまで意識的にやったのかわかりませんが、結果的に、ショーウィンドウのディスプレイっぽさのある、広告に擬態したような展示になっていて、それは良かったと思っています。実はよく見ると奇妙な感じで。ここを通り過ぎる人たちの中に、「見る」ことや「認識する」自分を省みるようなひと時が、予期せず、促されることなく、ふっと生まれたら嬉しいです。

「イメージと文字」シリーズでは、ごく一般的なフォントと言える明朝体を使用しています。フォントであったり鏡の形であったり、造形としての見た目ももちろんこだわったつもりです。コンセプチュアルな作品と言われることもありますが(多分そうなのだと思いますが)、私自身はコンセプチュアル・アートを作ろうという意識はほとんど無く、変なことを言うようですが工作をしているつもりでいたりします。作品を作るときは常に、難しくはしたくなく、分かりやすく楽しめる明瞭なものを作りたい(エンターテインしたい/エンターテインメントでありたい)と考えています。

駅地下という場所において、それほど強く主張しているわけではないけれど、不意に立ち止まるとちょっとだけハッとする、そんな感じが伝わって欲しいです。

*1——ジョセフ・コスース(1945年-)は、アメリカ、オハイオ州生まれ。芸術作品とは、作家が作る物質的なモノではなく、概念そのもののうちにあるとする「コンセプチュアル・アート」の代表的な作家。60年代から一貫して言葉を用いた作品を制作し、69年には論文「哲学以後の芸術」を発表するなど、コンセプチュアル・アートの理論・実践の両面における草分けとして知られている。

*2——ジョセフ・コスース《1つと3つの椅子》1965年。

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【プロフィール】
丸橋光生(まるはし・みつお)
1982年京都生まれ、広島を拠点に活動。2010年広島市立大学大学院博士前期課程彫刻専攻修了。近年の主な個展に、「ああ わたしは 見ているよ、ベイベ」(BnA Alter Museum Kyoto、京都、 2019)、「I’m seeing, baby.」(7TGallery、大邱、韓国、2017)。主なグループ展に「対馬アートファンタジア2019」(長崎、2019)、「開館30周年記念特別展 美術館の七燈」(広島市現代美術館、2019)など。
http://mitsuomaruhashi.com
Twitter: @MitsuoMaruhashi
Instagram: @mitsuomar

【開催中の展示】
丸橋光生「I see 文字.」
視覚と認識をテーマに作品を制作する丸橋光生が「イメージと文字」シリーズの新作インスタレーションを展開します。このシリーズでは、物体や映像に映し出されるものにそれらを表す文字を重ねて見せることで、鑑賞者のなかでイメージと文字が融合せず、ささやかな混乱を生じさせます。今回は「夢」という文字を登場させることで、わたしたちが普段何気なく行っている「見る」、「認識する」という行為について意識を向けさせるとともに、わたしたちの認識の不確かさについて問いかけます。

会期|2021年9月18日(土)~2022年1月16日(日) 7:00~22:00
会場|広島駅南口地下広場ショーウィンドウ(広島市南区松原町9-1)
※会期中無休、観覧無料

・関連企画
《どこかの窓洗い》
携帯電話などの画面の向こう側から洗っているかのように見える映像作品です。作家が参加者のスマートフォンやタブレットの画面のサイズに合わせた映像を制作し、送られてきた映像を再生すると、端末のなかで作品が展開されます。画面の表面を流れているように見える泡や水は、わたしたちにモニターの表面を意識させ、映像と現実の境界を揺さぶります。それぞれの手元の端末で作品が展開されるという、《I see文字.》とは異なるアプローチによって、通常の視覚体験からの逸脱を図ります。

募集期間:2021年10月28日(木)〜12月27日(月)
参加方法:金座街に掲出している現代美術館懸垂幕のQRコードを読み取ってください。
※参加無料、限定60名

詳細は美術館ウェブサイトを



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