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トヨダヒトシ・インタビュー | Untitled Vol.5

写真をプリントせず、35mmフィルムによるスライドショーのみで発表する異色の写真家・トヨダヒトシ。3月に広島で「映像日記/スライドショー」の上映を予定しているトヨダさんに、写真への疑いからスタートし、自らの写真表現を模索する中から「映像日記」にたどり着くまで、そして広島でのプロジェクトへの思いを伺いました。
※オンラインは紙面版+αでお届けします

写真への違和感
高校生の頃、初めて写真というものを意識しました。何か強烈な出来事があったわけではないけれど、写真って、撮る人の視点から見たほんの1/60秒くらいの出来事でしかないのに、それが永遠みたいな顔をして残ってしまうことに、疑いというか違和感のようなものを感じて。気を付けなくてはいけないメディアだなと思い始めたのを覚えています。

とはいえ、当時は写真に関心があったわけではなく、写真を撮り始めたのは21歳でニューヨークに渡ってからです。当時エレベーターボーイなどをしながら暮らしていたのですが、若い時にニューヨークという街で暮らす中で、胸の中に湧いてくるものがいっぱいあって。でも、それを吐き出す手段が僕には何もなくて。そんな時、友人がカメラを貸してくれたんです。ファインダーを覗いてみたら、それがはけ口みたいになって写真を撮るようになりました。

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写真と記憶の交差
そんなある日、ニューヨークのビルの間を赤い風船が飛んで行く様子を写真に撮りました。そして、なんで僕はこれを写真に撮ったのだろうと考えたんです。すると小学生の頃に体育館で『赤い風船』(1956)というフランスの映画を見たことを思い出しました。僕はその映画にとても感銘を受けたのだけれど、その後は映画のことを思い出すことなく過ごしていたのです。でもニューヨークであの赤い風船を写真に撮らせたのは、心の奥で厚く埃をかぶっていた『赤い風船』との出来事で、その厚い埃が一瞬で吹き払われたことに気づいて。写真を撮るということは、記憶していないような記憶も含めて、自分がそれまで生きてきた時間が反映されているのだと感じるようになりました。

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今、僕の目の前にお茶があってそこに光があたっているのですが、僕も周りにいる人も、みんな同じ「お茶」を見ていても違う風に見ているわけで。「もの」を見るというのは、今の僕が見ているのではなくて、今までの僕が見させていると思うんです。そんな風に写真と記憶、あるいは無意識が交差する感覚を、ニューヨークで写真を撮る中で見つけていったのだと思います。そして、それまでも空を行く風船を見ることは何度かあったのに、それまでは心の埃は払われなかった。自分の記憶と出会うタイミングというか、そういうことにも何かが潜んでいると感じたのもあの頃でした。

当時ニューヨークに行こうと思ったきっかけのひとつが、中学生の時に読んだトルーマン・カポーティの『ティファニーで朝食を』という小説です。主人公のホリー・ゴライトリーが感じる「属せなさ」が、中学生の僕にはスッと入ってきて。この人たちが住んでいるニューヨークってどんな街なんだろう、いつか行ってみたいと思ったんです。それで初めてニューヨークに行って住む時も、ホリー・ゴライトリーが住んでいた東70丁目のレキシントン街のあたりに住んでみたいと思ったのですけど、行ってみるとそこはとても僕には住めない高級なエリアで(笑)。それでもそこに限りなく近い所ということで、東63丁目の、クイーンズボロー・ブリッジのたもとの辺にアパートを見つけて住みました。

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写真の「嘘をつけてしまいやすさ」
その後日本に戻り、写真を仕事にできないかと、何も知らない状態から写真家という人たちに連絡を取るところから始めました。当時印刷のための写真はスライド(リバーサルフィルム)で入稿していたので、スライドで撮るようになったのはこの頃からです。そうこうする内にニューヨークで撮った写真がポストカードになったり雑誌の仕事もくるようになって。でも使われるのは自分が良いと思うものではなく、「売れる」写真。お金になる写真がどういうものかは分かってきたけれど、自分の写真が何なのかを分からないうちにこういうことをしていたらたどり着けないな、と思って、もう一度ニューヨークに行こうと思ったのが26歳の時です。

2度目のアメリカでは、中古のステーションワゴンを買って、北米で行き先を決めない旅をしながら写真を撮りました。でも旅をしながら、旅先のよく知りもしない人や景色を撮る中で、写真のもつ—あの気をつけなければならない—身勝手さや、「嘘をつけてしまいやすさ」に囚われてしまって。お金の不安や自分の写真の分からなさがある中で、写真の、簡単に嘘をつけてしまう感じが苦しくなって、一度写真を撮るのをやめてしまうんです。それでもカメラを完全に手放すのは不安で、コンパクトカメラにモノクロフィルムを入れて、命綱のようにかろうじてそれだけは手にしているという状況でした。

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「映像日記」が生まれるまで
そんな日々の中、住んでいたウィリアムズバーグからマンハッタンに住む大好きな友達に会いに行った時に、イースト・リバーにかかる橋を歩きながら、川面に太陽が反射して砕けている様子を写真に撮って、なぜかもう一枚撮って、少し歩いて振り返ってまた撮って、空に浮かぶ雲を撮って、それで友達に会って、すごく良い時間を過ごして、帰り際に彼を撮って、また同じ橋を渡って帰って…そんな何の変哲もない日のことをあとでコンタクトシート*で見た時に、一枚一枚はなんでもない写真なのだけれど、繋がりの中でその時の何かが写っているように感じたんです。あぁ、これだったら一枚の写真で嘘をつかずに何かができるかもしれないと思って。それでそれまで撮っていた他の写真も同じように並べてみたのだけれど、特にハッとするようなことはなく。

でもイースト・リバーを渡って友達に会いに行った日の写真のことはずっと考えながら暮らしていて。その日から何か月もたったある晩に、「明日からもう一回写真を撮ろう。一眼レフにスライドフィルムを入れて撮ろう。毎日撮ろう。撮ったものを撮った順に見せよう」と決め、再び写真を撮り始めました。再びスライドフィルムを選んだのは、印画紙の上に残り続ける写真ではなく、スライド投影によって写真が消えていくこと、目の前の出来事と同じように"消えていく"写真に、何か秘密が隠されているようにおぼろげながら感じたからです。

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そこからスライドに日付を刻み、その日に撮った写真が撮った順番に映されては消えていく、フィルムによる日記のようなスライドショーを作りはじめました。何も撮らなかった日は日付だけが残る感じで。当時は順番というか連なりが大事だと思っていたので、とにかく撮ったものを撮った順に並べていました。90年代の中頃は、アーティストたちがロフトに住んで、そこにいろんな人が作品を持ち寄って見せ合うパーティみたいな機会があって。最初は友だちにだけ見せていた映像日記を、やがてそうしたロフトのパーティでも見せるようになりました。当時ダウンタウンにあったタワーレコードの隣が広い駐車場だったのですが、その壁に大きなシーツを張ってゲリラ的に屋外上映も始めました。次第にたくさんの人が観に来るようになり、色々な催しに声をかけてもらうようにもなって。上映を重ねる中で、撮ったものを全部見せるという形や、日付も含めて見せるという形ではなくなり、タイプライターで打った自分の言葉をモノクロのネガフィルムで撮影して、そのままマウントに入れて投影するようにもなり、今に至ります。

「映像日記」をつくる際は、まず「この時期のことで話がしたいな」というのがあって。そこからその時期の写真を、撮った順に大きなライトテーブルに並べます。その中で、自分が話そうとしていることとは違うな、と思うものは外していって、あと色々な時間—撮った時の自分と今の自分、撮るよりもっと前の、子どもの頃のことなども—を行き来しながら、だんだん自分がしたい話に向かっていきます。「したい話」というのも、一つのテーマがあるわけではなくて、友だちとの会話だったり、本で読んだ一行だったり、道を歩いていて思い浮かんだことだったり、色々なことが縦糸になり、織り合わさっていく感じです。

*コンタクトシート/写真の縮小版を一覧にしたシートのこと

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広島での上映とワークショップ
今回「映像日記/スライドショー」の上映に加え、中学生とのワークショップも予定されています。ワークショップでは、何かを作るという形のゴールはあえて決めたくないと思っていて。それよりも「環境」をつくり、その環境の中でひとりひとりがどう動き出すかを見守っていきたい。中学生だと美術でも課題ありきだと思うのですが、そうではなくて内的動機というか、自分の内側から出てくるものに出会えてもらえたらいいなと思っています。

あと、これは「映像日記/スライドショー」とワークショップ、両方に通じることだと思うのですが、「唯一無二」さを感じるきっかけになればと思います。みんな、ひとりひとりが唯一無二だということ。そして今日という日も、この瞬間も、今しかなくて、唯一無二であること。僕が日々のことを写真にしているのも、たぶん時間の唯一無二さへの感嘆というか、唯一無二さへの不思議さと感謝と驚きと…いろんなことがないまぜになっているのが大きいので。何かそういうことを感じられる出来事であればいいな、と思っています。その時は分からなくても、いつかその時のことに思いを馳せられるような時間になればと思います。

トヨダヒトシ ポートレート

トヨダヒトシ
1986 年の渡米をきっかけに独学で写真を始める。93 年よりニューヨークを拠点に写真を用いた作品の創作・上映に取り組む。ブロードウェイ沿いの駐車場やチャイナタウンの公園、教会、劇場等のパブリックスペースにおいて、アナログのスライド映写機を自ら操作し上映するライブスライドショーという形式で発表し続けている。米国各地の映画祭や芸術祭で活躍し、2000 年より日本での上映を開始。12 年に日本に拠点を移し、ヨコハマトリエンナーレ2014 、神奈川県立近代美術館鎌倉館クロージングイベン卜、原美術館(東京)など多数上映を行う。

トヨダヒトシ、上映会の様子_01

横須賀美術館での上映の様子

【広島での上映情報】
写真をプリントせず、35mm フィルムによるスライドショーのみで発表する異色の写真家・トヨダヒトシによる作品上映が広島で実現。作家自らがアナログのスライド映写機を操作し、屋外空間に設置されたスクリーンにスライドフィルムを投影するかたちで「映像日記」を発表します。

日程|2022年3月26日(土)・27日(日)18:40~(開場は18:00から)
会場|広島市現代美術館周辺(比治山公園内)
上映作品3月26日(土)白い月
     3月27日(日)《黒い月》
参加費|無料 ※要事前申し込み
定員|40名程度
申込締切|3月10日(木)
申し込み方法|広島市現代美術館のウェブサイトをご覧ください

【本インタビューに登場する写真】
トップの画像はトヨダヒトシさんの「映像日記/スライドショー」第一作《An Elephant's Tail - ゾウノシッポ》より。インタビュー中の写真は、上から順番に、「同作品」(1・4番目)及び、広島で上映予定の《白い月》(2・3・5番目)と《黒い月》(6番目)より。

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